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飯田蛇笏、龍太両文学碑 第2回碑前祭


飯田蛇笏・龍太父子の文学碑顕彰の第2回碑前祭を今年も実施した。猛暑の後は9月から10月初旬に亘り、まさに「秋霖」に見舞われた日の連続であっが、10月15日の碑前祭当日は何故か旻天高く絶好の碑前祭日和となった。

当日は、山梨県芸術の森公園内に立地する、山梨県立文学館の「素心庵」に参集する。この素心庵は周知の通り、飯田龍太が命名したものであり、素心庵の玄関には、龍太師直筆を刻した立派な銘板が掲げられている。

素心庵内の床の間には、昭和21年「春蘭」所収の、

 冷ややかに人住める地の起伏かな   蛇笏

とともに、昭和53年「今昔」所収の、

 去るものは去りまた充ちて秋の空   龍太

の二軸が会場の雰囲気を一段と、引き締めていた。

二軸の許に据えられていた盆栽を始め、会場には、秋の景を愉しませて呉れる銘品の盆栽が展示された。

この丹精込めた逸品は、盆栽師である「泰樹園」の園主、江坂泰樹氏によるものであり、何ともいえない印象的な素晴らしい雰囲気が、会場内を和ませていたのが忘れられない。

12時半、時間厳守で碑前祭は始まった。共催である山梨県立文学館の三枝昂之館長の挨拶のあと、

主催者を代表し山廬文化振興会の飯田秀實理事長からは目下再建をすすめている「俳諧堂復元」への芳心の御礼と、進捗について現況報告がされた。

続いて講話に移った。、講師は元山梨県知事の望月孝明氏である。元知事は、ミレーの美術館で名高い「山梨県立美術館」の建設や美術品の購入にも関わりがあつた。何より山梨県立文学館・素心庵の建設当時の現職知事であり、龍太との親交は浅からぬものがあった知事である。

御歳九十二歳と五か月と述べられていたが、明敏なところは相変わらずであった。講話のなかでは、蛇笏・龍太への敬慕の思いは勿論であるが、芥川龍之介はじめ、近現代の文人等の事にもふれた話題に会者は忽ち引き込まれていた。文学館の必要性は何よりも、ミレーの絵画を保有する一流の美術館の脇には、一流の文学館が必要であつたと云う経緯を述べられた。

講話終了後は、直ちに蛇笏文学碑に赴き、続いて龍太文学碑に佇み、嘱目吟に励みつつ、俳句会場である文学館研修室に入る。

俳句会は、当季雑詠で二句投句。午後2時投句締切である。今回は、ごく最近から俳句を始めた人や、俳句に親しんで1、2年と云う参加者もおり、た これぞ、蛇笏・龍太の精神に適った碑前祭の目的である交流の成果と言えるのではないだろうか。

当日の最優秀者には廣瀬町子氏が選ばれ、飯田理事長から理事長自らが山廬竹林の真竹で制作した筆立てが「真竹賞」として贈られた。

(報告 理事雨宮更聞)

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