2019/05/26

4月中旬、孟宗竹の竹林で筍の収穫をしていると、どこからか木を叩く音がする。周囲に人の気配はない。耳を澄ませながら、音の方に近づいてみるがわからない。暫く周囲に注意を払っていると、何やら木のところで動いた。小鳥が木に留まっている。コゲラである。木の中にいる虫を取っているのかと思ったが、木に直径2センチの穴をあけている。巣作りだ。暫くコゲラの観察である。5月に入ると親鳥は巣穴に身を潜め、時折周囲を警戒している。中旬、親鳥が巣から頻繁に飛び立つ。5月26日巣穴が見えるところにカメラを据え、望遠レンズでけゲラの動きをとらえた。

親鳥が成長した雛にさかんに餌を運んでいる。 

2018/09/28

山廬後方に広がる雑木山。御坂山系の一角をなし、春日山(かすがやま)、名所山(みょうしょざん)など1,000mほどの山が連なっている。一部ヒノキなどが植林された人工林があるがほとんどがクヌギ、ナラなどの広葉樹の雑木林が広がる。9月中旬を過ぎると山頂付近に茸が姿を現す。採れるのは香茸(コウタケ)、オオジコウ別名だるま(ムレオオフウセンタケ)、タマゴタケ、そしてクロット(クロカワタケ)。その年の天候で採れる茸の多少が出てくる。今年は夏の猛暑で心配されたが、9月に入っての降雨でなかなかの当たり年である。先日茸採りの名人である幼馴染が届けてくれた。さっそく山の恵みを頂いた。これから麓にかけ10月中旬まで茸のシーズンだ。

クロットは少々苦みがあり酒の肴に最高である。作家の井伏鱒二氏は山廬に来るとクロットでお酒を頂くのを楽しみにしていた。里山の暮らしの秋の楽しみだ。

2018/03/17

早春が好きだった龍太は、ある時出入りの庭師に頼み、辛夷の木を植えた。昭和50年代初め狐川の河川改修で、竹林の伐採を余儀なくされた。工事で殺風景になってしまったところに植栽したのだ。あれから40年近く経ち、堂々たる大木になった。

毎年、3月10日から15日にかけて開花する。龍太がこの世を去った平成17年はとても暖かな冬で、告別式の行われた3月6日、数輪が開花した。高い三脚を出しこの枝を切って祭壇に飾った。龍太は本当に辛夷の花が好きだった。

父が植えた辛夷はやや大ぶりのもの。満開になるとそれは豪勢である。数年前同じ庭師にお願いして、より自然な辛夷の木を探してもらった。狐川を挟んで対岸に植えた。こちらは花の時期が少し遅れる。

 山梨県は八ヶ岳周辺に辛夷が多く自生する。標高が高いため4月上旬から中旬が見ごろ。父は私の運転で早春の八ヶ岳南麓をドライブするのを楽しみにしていた。

文/写真 飯田秀實 2018.03.17

2017/11/04

11月に入ると、山廬の木々は一気に明るくなる。

後山に自生する山桜の大木もいつしか葉を紅くし、檜に伸びた蔦は美しく色付く。

さらに、ガマズミの実なども真赤に色を濃くする。

そのころになると、山廬石門の脇にあるドウダンツツジは日一日と紅さを増す。

今年は10月、二度の台風大雨をもたらしたが、その後朝晩の冷え込みが増し、紅葉が進む。

いつもの年より賑やかな山廬となっている。

2017/07/26

山廬石門の左に百日紅の木がある。毎年梅雨明けと共に紅色のあざやかな花が咲く。

この木は、龍太が親戚の家から譲り受け山廬に移植したものだが、もう50年近くになる。

百日紅の新芽は「うどんこ病」などにかかりやすいので病害虫の消毒は欠かせない。

今年も5月から梅雨時にかけ散布を施した。

2017/05/12

山桜がすっかり葉桜になって、若葉が次第に濃くなったころ後山を散策するとどこからともなく芳香が漂ってくる。頭上の木々を見上げると、大きな朴の葉の間から真っ白な花が見える。芳香はこの花が初夏の後山に放っているものである。後山には3本の朴の木が自生している。1本はひとかかえ以上ある太さで、それぞれの枝はまっすぐ天に向かって伸び、その先に花芽を付けている。樹高が20mほどあり、この木の花を鑑賞するのは難しい。残る2本のうち1本が斜面に自生しているため、比較的花を観賞しやすい。

山廬後山は標高が400m。蛇笏は山廬のことを「白雲去来するところ」と表現したが、それほどの深山では決してない。ごく普通の里山であるが、朴の木が自生するということはそれなりの環境であり、この時ばかりは蛇笏が表現した情景に感謝する。

このころの後山からの眺望は南アルプスの北岳を含む「白根三山」はもちろん黒沢岳、赤石岳はまだ雪に覆われている。里の新緑と白い朴の花の向こうにそびえる雪の峰の対比は自慢できる眺めの一つ。

ある年、斜面に自生した朴の見事な花をつけた枝を切り、玄関の大甕に活けたところ、あまりの香りの強さに些か閉口した。こうした香りは深山で感じるに限る。

2017/01/01

山廬のある境川町小黒坂地区の氏神は熊野神社である。地区の南側の木立の中にある。

山廬からは歩いて10分ほどのところだ。

元朝 各戸の家長がこの「氏神さん」に集まる。

午前8時、花火を合図に、区長を先頭に参拝する。

この後、区長が区民を代表して新年のあいさつを行い、お神酒を頂く。

最後に全員で万歳三唱をするのだが、ちょうどこの時、東側にある春日山から初日が射し込む。

本殿から鳥居の先に新年の御来光を拝むことになる。

蛇笏、龍太の随筆にも登場する春日山は標高千メートル余りだが、小黒坂のすぐ先に屏風のように迫っているため、朝日は遅い。甲府市内より1時間近く遅い日の出である。

南アルプスの連山は厳しい寒さの中で凛とした姿で輝いている。

どこにでもある、ごく普通の神社であるが、新年のこの時ばかりはどこの神社の初詣より厳かな感じがする。

蛇笏も、龍太も元朝は家でうどんを一杯頂いた後、氏神さんに詣でた。

氏神さんの初詣が終わるとその足で菩提寺に新年のあいさつに向かう。

地区の人たちはこの慣わしを今もしっかり守っている。

(文/写真 飯田秀實)

2016/12/07

 飯田家には1本の柚の木がある。もう50年近く前になるだろうか。山廬裏の竹林に柚の苗があった。父に「これはどうして生えているのか」と聞いたことがあった。すると「四国の方から立派な柚を頂いた、その種から芽を出したもの」だそうだ。私に聞かれて思いたったのか、しばらくして父は苗を日当たりのよい母屋南側の畑に移植した。

 おかげで成長も良くなった。しかし、実のなる気配は一向になかった。「桃栗三年柿八年」「柚は‥」9年とも18年とも言われ、なかなか実を付けない植物にたとえられている。それにしてもならない。牡蠣殻がよいとのことで根元に撒いてみた。それやこれやで20年近く経ってしまった。さすがの父も「切ってしまおうか」とぼやく始末。

 するとある年の夏、枝の先に青柚がなっているではないか。「柚は刃物を当てるとよい」という話を聞いたことがあるが、父の言葉を聞いていたのだろうか。以来毎年たくさんの実をつける。しかもこの柚が大きく香りがよい立派なもの。5月、すがすがしい香りを放ち純白の花が咲く。天ぷらにすると口の中に柚の香りが広がる。これは美味である。

 夏は青柚を薬味とし、初冬からは鍋や吸い物、漬物の必需品。贈答用にも使っている。そして冬至湯。

正月のお節料理には母が柚子の皮を甘露煮にした。

 今年もたくさんの実をつけている。

(文/写真 秀實)

2016/11/13

11月に入ると甲府盆地の東部の畑では柿の実が色付く。しかも非常に大きい。「甲州百匁柿」(ひゃくめがき)という渋柿で、1個350gから450gあり、まさに100匁ある柿の実で、たわわに実る。栽培農家では1個ずつ丁寧に鋏で切りとる。枝の両側を1㎝ほど残しておくことが肝要。収穫した柿はすべて皮をむき各々の家の軒下などにに干す。

「柿簾」は甲州の初冬の風物詩である。山廬には振興会の会員が毎年150ほど届けてくれる。それをひとつづつ、縁側の陽だまりで皮をむき軒下にくくった竹の竿に稲縄で縛り吊るしておく。縄に吊るすとき実に残しておいた枝が役になる。この枝に縄を縛るのである。軒下に干すこと3週間。

甲府盆地はこの季節晴天が続き、乾燥した北風が吹く。この天候により柿の水分は失われ、天日にあたることで実が熟し、

渋は果糖に変化して甘みを増す。こうしてできあがたものを山梨では昔から「枯露柿」(ころがき)といって冬の常備食として蓄える。また歳暮用としても高価な贈り物として珍重されている。山廬の飯田家でを代々神棚の正月飾りとしても用いる。「かきとるように」と縁起物として飾ると祖父の蛇笏から教えられた。昨年は暖冬でことごとく失敗したが、今年は「枯露柿」造りには適した天候が続いている。(文/写真 秀實)

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