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飯田龍太(いいだ りゅうた)

 大正9(1920)年~平成19(2007)年

 

 東八代郡境川村小黒坂(現笛吹市境川町)に蛇笏の四男として生れる。小学校のころから国語に秀でており、小校1年の時、作文で表彰される。甲府中学卒業後、折口信夫が教鞭をとる國學院大学に進むが肺浸潤、肋骨カリエスを患い休学。帰省して農業をする中、農業雑誌「農業世界」に論文を応募し入選する。大学を卒業するも、三人の兄が相次いで病死、戦死したことから生家を継ぐ。その後俳句に専念し、戦後俳壇に伝統派の旗手として頭角を現し、蛇笏没後は「雲母」を主宰する。

  平成4(1992)年8月、72歳の時雲母900号をもって終刊。一切の作句活動を断つ。

 句集「百戸の谿」ほか10冊、随筆集、鑑賞集など多数。

 平成17年「飯田龍太全集」全10巻刊行。

 読売文学賞、日本芸術院賞恩賜賞、紫綬褒章。日本芸術院会員。

 平成26(2014)年NHK・NHK学園により「飯田龍太賞」が創設され

 た。令和元年(2019)より「龍太賞」と改める。

​ 2020年生誕100年を迎えた。

 

 龍太忌 2月25日

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