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山 廬 (さんろ)

 

 蛇笏の別号であるとともに、蛇笏、龍太の居宅及び敷地の総称でもある。山廬という呼称は、蛇笏が「山の粗末な建物」と自らの居宅を表現した創作である。

 主屋は江戸時代後期の建築。茅葺の屋根は明治期に瓦葺に、平成10年合板に葺き替えられたが、柱など主たる部分は建築当時の状態を保っている。特徴的なのは飯田家が代々名主の家柄だったことから、武家階級に許された「式台玄関」や書院式の座敷を備えていることである。主屋はいずれも10畳の間取りで土間などを含め建坪は50坪。

付属の建物として「文庫蔵」「新座敷」などがある。邸内の赤松は樹齢400年と推定され、三方に枝を広げた見事な姿である。

 平成29年(2017)敷地内に表蔵「俳諧堂」を復元し、1階を展示施設、2階を句会場として活用している。

 裏には竹林が広がり、狐川が流れる。橋を渡るとそこを後山(ござん)と称す。中腹に蛇笏書による山口素堂の「眼には青葉」句碑。蛇笏が建立した唯一の句碑である。平成31年(2019)に蛇笏、龍太ゆかりの茅葺の四阿「狐亭」を復元した。丘の上に立つと甲府盆地、甲斐の山々が一望できる。

 山廬は後山を含め約3300坪の敷地となっている。

 邸内は飯田家の住宅となっているため通常は非公開。

 一般公開についてのページをご覧ください。

 句会や吟行などの申し込みも受け付けています。

 振興会にお問い合わせください。

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