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蛇笏忌のころ

 昭和37年10月3日俳人飯田蛇笏(本名 武治)は生まれ育った山梨県東八代郡境川村小黒坂の自宅で逝去しました。明治18年に飯田家の長男として生まれてから、旧制京北中学、早稲田大学に進学した間を除き、その人生を境川の地で過ごしました。

 蛇笏は飯田家の主屋や、裏山の一帯を「山廬」と称し、特に太平洋戦争終戦後は裏山を「後山」(ござん)と呼んで散策するのが好きでした。裏を流れる狐川に木橋を掛け、四阿を建て気が向くと後山で時を過ごしました。

 或る時茶の木を一株いただいた蛇笏は、さっそく後山の斜面に植栽しました。蛇笏が亡くなって約半世紀、一株の茶の木は実生から新芽が出て、今では茶の群生地となりました。山廬周辺は藪椿が多く自生するところでもあり、ツバキ科の茶の木には適地だったようです。

 蛇笏忌が近づくとこれらの茶の木には可憐な蕾がつき、一斉に開花します。

(文・写真/飯田秀實)


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